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[荒井学長通信No.9] 死ぬ瞬間

私の専門分野は宗教哲学です。大学に入学してきたばかりの看護学生たちに「人間学」を講義しています。哲学や宗教学、心理学などのさまざまな思想・学説を紹介しながら、「人間とは何か」、「私とは何か」、「人間はどう生きどう死ぬのか」といったテーマをとりあげています。

そして誰もがやがては経験しなければならない最期の死もまた、避けることのできない「人間学」の重要なテーマです。

人は最期の死に直面したときにどのようなプロセスを経て死んでゆくのか? 末期ガン患者との対話をとおして、人が死を受容するまでの心の葛藤を刻銘に描いた名著として有名なのが、アメリカの精神科医師エリザベス・キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』です。

「否認」→「怒り」→「取引」→「抑うつ」→「受容」という、5つの心理的段階を経て、人は死んで逝く。
『死ぬ瞬間』
ガンを告知された患者はかならず否認する。医師を疑い、検査機器を疑う。そして、自分一人だけがなぜこの世から去らなければならないのかと、周囲の人たちに怒りを爆発させる。やがて自分の病を否認できないと知ると、死を先延ばししようと神と取引をする。ひょっとしたら治るかもしれない、あるいはせめて少しの期間でも生き延びたい、と。しかし、病気は治る見込みがないと知ると、希望を失い絶望して抑うつ状態になる。もはや励ましも元気づけも役に立たない。「言葉はまったく不要である。言葉によらず、むしろ手を握るとか髪をなでてやるいとか、あるいはただ黙ってそばに座っているだけのほうがずっと望ましい」とキューブラー=ロスは言う。このようなプロセスを経て、人はようやく死の受容にいたる。「患者は嘆きも悲しみもやり終え、……ウトウトと、まどろむ。それは赤子の眠りにも似た、しかし逆方向の眠りである。……このときのコミュニケーションはもはや言葉ではなく沈黙である。」
患者はこの5つの段階を、かならずしも、このとおりにたどって行くとはかぎらないようです。すべてを達観して早い時期に受容する人もいれば、これらの段階を行きつ戻りつして葛藤を繰り返す人もいます。

この本は、日本では1971年に『死ぬ瞬間』という邦訳で出版されました(原題は『On Death and Dying(死と死ぬことについて)』です)。当時、私は大学生で、もちろんこの本を買って持っていました。しかし、正直に告白すれば、私はなかなかこの本を開いて読み込んでいくことができませんでした。「死に向き合う」ことが(当時の私には)まだできなかったのです。私がこの本を真剣に読み込んだのは、30歳代の後半期になってからでした。私と不仲だった父が肺がんで余命1年と宣告されたことが、私をこの本へと向かわせたきっかけでした。
[荒井学長通信No.9]
東京の家族と離れて生活していた私は、父の病状を母との電話をとおして聞きとっていました。「ここのところお父さんはとても怒りっぽくて……」、「……めっきり塞ぎ込んで……」、「最近、看護婦のみなさんに『ありがとう』って……」。キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』を読んでいたおかげで、電話越しに聞こえる情報の端々から、父の状況が手に取るように伝わってきたものでした。父は、予告されたとおり、余命宣告されたちょうど1年後に亡くなりました。病巣は脳にまで転移し、激痛の発作を繰り返しつつ、最期は痛みから解放されるように亡くなりました。

『死ぬ瞬間』は死に逝く患者本人の心理を解き明かしている本ですが、しかし同時に患者に寄り添う看護師や医師、そして誰よりも患者の家族のために、どのように患者にそれぞれの段階で対応すればよいのかを示す、有益で示唆に富む本なのです。
[荒井学長通信No.9]
「キューブラー=ロスの死ぬ瞬間」について講義を受けた後の、学生たちの実践的な理解を紹介しましょう。以下は、学生たちのレポートからの抜粋です。

「母の友人は人当たりもよく、懐も深い女性だったという。そんな人がガンになり、豹変した。母が見舞いに行くと、そこには看護師に当たり散らす友人がいた。母が固まっていると、友人から「帰れ!」と罵られ、その場を後にした。……しかし数年たったある日、突然友人から手紙が届いた。「そばを離れずにいてくれてありがとう」というものだった。その日から少しだけ手紙のやり取りをしたが、急に返事が返ってこなくなった。……母にキューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』について話をすると、なぜ友人があんな行動をとったのか納得できたようだった。やはり死の受容過程を知っているかいないかで、受け止め方が変わってしまうのだ。」

「祖母が死ぬ直前、危篤状態を乗り越え・・・・回復するという「中治り」現象が見られた。その時に、今にも消え入りそうな微かな声で「ありがとう、頑張ってね」と言ってくれた。祖母はその数日後に亡くなった。私は、キューブラー=ロスの「死ぬ瞬間」の講義を通して、祖母はきちんと死を「受容」して亡くなったのだと感じ、嬉しく思った。そして、心の中にあった祖母の死に対するわだかまりが解けた気がした。……私のみならず、家族や親戚が毎日そばに座り、黙って手を握ったり、頬をさすったり、その自然に行っていた行為は、祖母の受容過程を許容し、最期の時を豊かなものにしていたのだと思う。」
鳥取看護大学
学長 荒井 優
(2023年8月8日掲載)

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