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[近田学長通信vol.13] 看護の「観」を深めるために

看護学の入り口で学び始める内容には、看護の中心概念である人間観・健康観・環境(社会)観・看護観および生活観の学修がある。これらは4年間をとおして深めていく課題であり、知識の修得のみならず、先人達の示す概念を参考にしながらも、各実習などをとおしてその年次にあった学生なりの考え方(いわば、哲学)を明確にすることが求められている。その一つに、看護学概論および生活健康論に続き、生活健康論実習がある。科目名が示すように、各自の生活観・健康観を明らかにして、1年次なりの考え方を記したものが「生活健康論実習レポート集」である。それを読んでいて、毎年同じような気になる文言に出会う。それは、論点が「健康法」にすり替わっていることがあり、また「健康観は人それぞれである」と結論付けている文言も見受けられるからである。
後者について言えば、確かに、表層的には人それぞれではあるが、「人それぞれだから健康観を思索する必要がない」と思考を停止しているように思えるのである。健康観のみならず、他の観の追究においても同じことになる。常に各自の「観」に問いかけ続けてほしいと思っている。換言して、思考し続けることを願う一人である。
それでは、このような「観」はどのように形づくられていくのであろうか。医学界新聞(第3358号)の対談で、行岡氏は以下のように述べている。それらは知識教育からではなく、対話やカンファレンスなどをとおして、これが妥当だと『共通了解』を紡ぎ出していくことを重ねることによると強調している。看護(活動)に正解はないと言われるが、「観」の構築場面のみならず、あらゆる場面で絶対的回答を求めるのではなく、この『共通了解』を得るという相対的に納得のいく過程を経ることに意味があると受け止めた。挑戦しながら、学生を育みたいと思う。
鳥取看護大学
学長 近田 敬子
(2020年2月20日掲載)

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